湿気

あなたの希死念慮を確かに認めるし 微笑んで見送るよ。

【非ロマンス】恋愛感情がわからない

女の子には好きな人がいて、一途に想って、恋心を成就させるために“自分磨き”をして、想い人と距離を縮めて、

…………

結婚して、出産して、育児と家事して、末永く幸せに暮らしましたとさ。

 

のテンプレートを幼い頃から刷り込まれていたから気づかなかったけど、私全然恋愛感情わかんない。

恋愛感情と友愛感情や家族愛などとの区別がつかない。

自分が恋愛対象になるのがたぶん嫌だ。

好きな人と一緒に暮らしたいと思わない。セックスもしたいと思わない。

 

でも幼稚園でも小学校でも中学校でも恋愛感情的に好きな人がいた。

女の子には好きな男の子がいるのがあたりまえで、両思いになるためにかわいいさを備えていなければいけないと思っていて、

そしてなんだか本当に意味不明だけど、男の子にからかわれる女の子でないといけないと思っていた。

 

今振り返ってみると、これまで恋愛感情的に好きだった人と付き合いたいと思ったことがない。(ので告ったこともない)

一応これまで好きだった人たちのことを「恋愛感情的好き」とラベリングしているけど恋愛感情が何かわかってないので、実の所「恋バナで友達にこの人が好きと言ったことがある人」であり、今では本当に好きだったのかもわからなくなっている。

 

これは考察だけど、「なんだかこの人私のこと恋愛感情的に好きそう」と思うような人といると勝手にその人のことを意識してしまい、勝手に緊張してしまうことがあるので、その向けられている好意っぽいものに対する緊張のことを「恋愛感情的好き」だと勘違いしていたかもしれないと最近思う。

 

自分は場の空気を雰囲気で察しがちで場の空気感に感情を支配されやすく、自分の情緒でその察し(憶測)を強化しがちなところがあるので、それが恋愛における社会規範と他人の感情などの無意識インプットに繋がっていると思う。

 

このことから恋愛をしないのではと思い、自分をAロマだと思うようになった。

その後にクワロマという概念に出会って今はクワロマに落ち着いている。重要な他者というワードがとても好き。

でも、自分をデミロマだと思う時もある。けどそれはデミロマンティックの“デミ”の部分だけを指しているからデミロマではない。

私の“デミ”要素はとても強く、デミな人間であることは確か。

 

私の愛の理想は好きな人の生活を遠くから慕い応援することだから恋愛をしようとしてもきっと何も起こらない。

私の自我は一人でいる時にしかちゃんと出てこなくて、いくら好きな人だろうと生身二つが一緒に暮らしていくことは自分を殺すようなことに思える。できない。

私は人生で一度も自我を安心して見せられる人に出会ったことがない。コンプレックスだけど高潔っぽくて気に入ってる部分でもある。

 

恋愛感情ってどういうものなんだろう。

私は、好きだ!とても好き!と思う人がたくさんいる。

一般的な 好きな人 は恋愛感情的に好きな人であることが多いので明言すると、私の言う好きな人は恋愛感情的好きでは多分なくて、大部分が信頼や敬慕で形成されている。

 

恋愛感情はわからないけどラブストーリーが苦手というわけではなく、他人の恋バナを聞くのは大好きだし、愛着のある人物のラブストーリーは進んで鑑賞する。

登場人物の恋が上手く行きそうだったらテンション上がるし、ややこしい流れになったら焦れったくなるし、一生懸命アプローチを取るシーンはドキドキするし、失恋したら心を震わせて悲しみ、感情が高ぶると色々なシーンで涙が出てくる。オタクの使う「壁になりたい(その世界に壁として参加し𝐋𝐎𝐕𝐄の行く末を見守りたい)」という言い回しにも大いに共感する。

 

ので恋愛感情がどういうものかは何となくわかっているはずだけど自分の持つ恋愛感情についてはわからなくなってしまう。そこにあるのかないのか捉えられない。

 

恋愛感情と友愛感情の区別がつかない理由は自分が好意を持つ人に抱くのは愛そのもので、抱いた愛を恋愛、友愛、家族愛…etcにカテゴライズしていないからだと思った。

カテゴライズしない故に、友達という関係の人とも親しければ(デミ要素)自分の中で恋愛感情に発展させるポテンシャルはあるのだろうけど、自分は恋愛感情がわからないし恋愛をしたいと思わないのでそれができない/したくない。