湿気

あなたの希死念慮を確かに認めるし 微笑んで見送るよ。

メンクリ最後日記

今日は6年間通ったメンクリメンタルクリニック)の最後の通院だった。

 

もうここでは診られないと伝えられたのは前回で、その時「あ、捨てられた」と思った。

病院側の事情を聞いてしょうがなくて正しいことだとわかっていたのに見捨てられたという絶望があった。その時は調子が良くなかったのでここでの診察も終わるなら死んじゃおと思った。し、それとは別にここに通えなくなるなら死ぬしかないと思った。

「ついでに死んどくか」みたいなサラッとしていて落ち着いた死と、「もうどうしようもないじゃんね。死ぬしかないじゃんね」という誰かへの当て付けみたいな、追い込まれて理不尽にキレてしまう嫌な感じの、ぐらぐらと煮え立つような死があった。

説明も聞いたし、他の病院へ移るための紹介状も書いてもらうし、ごめんなさいとも言われたし、捨てられたのではないとわかってはいるのにすごく悲しかった。上手く感覚が掴めないけど捨てられると思うことはこんなに苦しいのかと思った。

カウンセリングの前に説明の第一段階として軽く聞いた時にそう思った。聴きながら冷静に話を聞く自分と、捨てられたと思って泣きそうになる自分が混ざってた。

でもそこまで引きずることは無く、今日のメンクリまでいつも通りに過ごした。今日も最後だからとドキドキすることはなく、寝れなくてご飯を食べ損ねたためサクッと終わらせてマックに寄ろうと考えていた。頭の中は眠気とマックだった。

 

今日のためにカウンセリングの先生にお手紙を渡したいと思ったのになんとなく今日じゃないと思って書かなかった。

いつも40分のカウンセリングと6分の診察がルーティンで、今日もそうだった。

今日が最後だからカウンセリングとはちょっと違う対話の時間も設けてくれた。でも全然自分のことを話せなかった。自分の思ってることを話そうとすると泣いてしまって上手くできないから今日もカウンセリングの先生の話に頷いてばっかりだった。

でも、「ごめんね。○○ちゃんの時間なのに私ばっかり喋っちゃって。次、○○ちゃんどうぞ」と振られてしまって、お手紙を書いてもいいですかと言った。それだけなのに声にしようと思ったら涙がでてきて、涙が出るから悲しくなった。

今もこの文章を書きながら泣いてる。悲しいけど具体的にはわからない。なんだろう、この気持ち。

お手紙は私宛てだよね?と聞かれて、もちろん良いよと言ってくれた。

私は一回目の通院から知ってもらいたい体調のことや思いを紙に書いて渡していて(全部知ってもらいたいという強迫観念があった)、その報告書みたいな殺風景で絶望が濃く出たものをカウンセリングの先生は私宛ての手紙と言い、これまでの手紙もたくさんあるよねと言い、なんかめちゃくちゃ苦しくなった。顔をしかめて泣くのを我慢した。

ここ1,2年は、メンクリってそういうものじゃないのかな?という心配と、書かなくてもある程度話せるようになったことから書いてないけど、6年間通ったのでかなりあるはずで、それを今まで紙カルテと一緒に鍵付きの場所で保管していたということだけでありがたいのにこれからも持っていてくれると聞いて苦しかった。

 

もう6年経つのかと思う。まだ4年とかそのくらいだと思ってた。

私が人生について詳しく話せるのはカウンセリングだけで、希死念慮とかはsnsに投稿できるけど目の前の人に聞いてもらうことができるのもここだけで、とても本当にとても、めちゃくちゃ大切な場所だった。

漠然と一生ここに通うのだと思ってた。担当のカウンセリングの先生は高齢で、私が寛解するより先に先生が死ぬのではないかと思っていた。それか私が先に死ぬかで、お別れはその時だと思ってた。

ここではカウンセリングと診察の時間があってそれぞれ別の先生が担当している。誰にも話せない深さで話すのでカウンセリングのほうが私の中の比重として大きかった。

私には3人恩師がいて、カウンセリングの先生も恩師。

希死念慮の話をするとき否定しないで聞いてくれるのが本当に本当にありがたかった。

お手紙は長くなると思う。時間をたっぷりとって何も漏らさずに書けたらいい。

 

書きながら泣いていて、こうして文字にしに来て良かったと思う。

 


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これは今日メンクリを撮った時の空

灰色に近いくすんだ水色の空に暗いところは灰色で明るいところは薄い黄金色のふさふさな雲

秋の空って感じ